ネット歴16年の私がネット今昔について語る その3

ネット歴16年の私がネット今昔について語る その2の続きでございます。




Twitterは新規開拓しづらい


Twitterやブログでも何らかのきっかけがあって巡り合った人と仲良くなることはある。ただ、いつの間にか新規開拓をしなくなった。
 
ホームページであれば「リンク集」という項目があり、自分の好きなサイトや仲のいい方のサイトを紹介するページがある。そこから新たに自分好みのサイトを探し求めることができた。プロフィールを読んで、作品を読んで、日記を読んで…。気に入ったら「○○さんのことろから来ました」と掲示板に書き込めば、そのサイトの管理人さんと仲良くなることができる。
 
Twitterでも友達がフォローしている人を見れば、そういう形の新規開拓はできる。しかし、Twitterはリアルタイムのつぶやきなので、自分が見たときにその人が「おなかすいた」「眠たい」「お風呂に行く」という自分の実況中継的なことしか書いていなかったらかなりの高確率でフォローしない。
 
生きていることはわかるけれど、どんな人なのかどんなものが好きなのかよくわからない(Twitterにもプロフィール欄もあるがそれだけでは不十分)。結果としてフォローしないということを何度も繰り返した。


数値化されることの弊害


たまにいきなり知らない人にフォローされることもあるが、「数増やしだな」と思うことが多い。なんとなく、Twitterでは「フォロワーが多い」「RTやふぁぼ(いいね)の数が多い」というのがステータスになっている節がある。そのためには手段を選ばない人も多い。「とりあえずフォローする」「RTのためになら過激なことをする(炎上)」「罪の意識なくパクる(パクツイ)」。
 
誰だって注目されたり、自分の投稿が人に読まれるのは嬉しい。Twitterはそれをわかりやすく数値化してくれるのである。ただ、それを目的に誰かが一生懸命書いた絵を出典も示さず貼り付けたり、人のつぶやきを自分の体験のように投稿するのはいかがなものか。
  
昔から(というか個人サイトにも)、アクセスカウンターやアクセス解析などどれだけ多くの人が見に来てくれたかわかるようになっていた。けれど、数を増やすためにやることといえば、「リンク集に参加する(ウェブリング・同盟・サーチサイト・ランキング)」「人の掲示板に通常の書き込みをする(これだけでも意外と見に来てくれる)」「更新する」といったような地道なものが多かった気がする。私が知らなかっただけかもしれないけれど。


まとめ


別に今のネット界隈を非難するつもりはない。今は今でネットはするし、やっぱり私はずっとネットが好きなことに変わりはない。情報の海。画面の向こうの友達。「パソコンなんてただの箱」と昔から言う人がいたが、それはいつだって宝箱だった。その3辺にでかくて重かった箱も、軽量化し携帯電話と一体化してからはほぼ24時間、半径3メートル以内に鎮座している。
 
そして、「好きなことを表現する」と「それを見て反応してくれる人がいる」という環境は昔も今も限られた人にだけ与えられていたんだと思う。昔は、ネット人口が少なかったから「表現しただけで」反応があった。今は「すごい人」には反応がある。それだけの話だ。
 
ただ私は、幼少のころから表現することが好きだったから、「ネットで表現する」ことが少数派だった2000年ごろが一番楽しかったなとこの先も言い続けるんだと思う。振り返るとやっぱり恥ずかしいことしか書いていなかったので、人には「黒歴史です」と言いながら、あの頃のことを懐かしむのだろう。
 
 


予想外に長くなってしまいました。最後までお読みいただきありがとうございます。

ちなみに、私が言う「個人サイト」は某少年漫画の二次創作小説サイトでした(当時は完全オリジナルでしたが途中でハマってしまい方今転換)。なので、違うジャンルの界隈ではまた違う景色があったではと思います。


番外編

昔、個人サイトには「Harbot(ハーボット)」という猫?を飼っている人が多かった。このページを読み込むたびに私の回線とパソコンは耐えられずしばらく固まるのだが、そんなやっかいなヤツにもかかわらず行くたびにお世話した。たまにハーボットが管理人さんのことをしゃべってくれるのが楽しみだった。更新なんて週1なら早い!レベルだった時代。こういうのがその人のことを知るのに役立っていた時代があったことを最後に。

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