
インターネットの門戸が開かれる・・・パケホ時代
それからほどなくして、携帯電話でインターネットをする人が増えた。パケットし放題…通称パケホーダイ(以下、パケホ)のおかげでパソコンがなくてもいつでもどこでもネットができる。
そこから何となくインターネットをする層が変わった気がした。いや、ユーザー層なんて常に変わり続けているんだけど、パソコンやプロバイダ契約なしにネットができるというのは2000年頃にはまだあまり想像できていなかったのではと思う。
とはいえ、当時の携帯電話で表示できるホームページには限度があった。携帯用のページとパソコン用のページは明らかに情報量が違った。パケホが登場したからといってパソコンのホームページや掲示板という文化にはさほど影響はなかったと思う。携帯電話でしかネットをしない人はあれをネットだとは思っていなかった気がする(私は生粋のDoCoMoユーザーなのだが、当時携帯でするネットのことを周りは「iモード(アイモード)」と呼んでいた。インターネットとは別のカテゴリなのである)
スマホとTwitter
2000年頃のネット環境と今のネット環境が大きくかけ離れることになった要因として挙げられるもの。やはり、スマートフォンに他ならない。表示が早いし、携帯電話なのにパソコンページを見ることができる。
それと同時に爆発的に流行りだしたのがTwitter。それまでもmixiなどのSNSは流行っていたがそれでも招待制かつ18歳以上しか使用できないクローズドコミュニティだった。
Twitterはいつでもどこでも誰でも自分の思ったことを発信できるし相手の発信も見ることができる。
リアルタイムかつ直接的に相手のことを知ることができる。相手を「フォロー」し、「私はあなたの投稿を読んでいますよ」と伝える機能がデフォルトである。それなにあのホームページと掲示板の時代より相手と濃い付き合いをしているという感覚はない。なぜか。
おそらく、自分が大人になってしまいネットにそこまでのめり込んでいないという点もある。
しかし、それ以外に以下のようなことがあるのではないかと思う。
・ユーザー数が多すぎる
→フォローしたい人を見つけることができない。読まないといけない数が増えるので流し読みやスルーすることが増えてしまうし、いちいち相手の投稿に反応できない(もしくはいいねで済ましてしまう)
・コンテンツが薄い
→百数文字で伝えられる内容の限度。
・セミプロがたくさんいる
→気づいたら本とか出している人・テレビに出ている人が普通の人と同じ土台にいる=普通の人は見向きもされない
ブログもSNS的な要素が多いものが増えてきているので、文字数は増やせるがおおむね上記と同じ状況になっていると思う。
スゴい人のものしか見たくない
もし私が現代の中学生であのときのテンションでTwitterやブログをやっても人は来ないと思う。よりたくさんの人がネットに参戦したことで「すごい人(セミプロ)」が複数台頭し、それにその他大勢が集まるからである。
こんなことを言うと「それはお前の実力がないから仕方ない」と思われるだろう。確かにそれはそうだ。けれど、ものを作ったら誰かに見てほしいと思うのは、上手い下手関係なく自然と芽生える感情ではないか。それを低いハードルで叶えてくれていたのが昔のネットだったという話である。学校で友達同士描いた絵を見せ合うような感覚。あれを全国区でできるのが当時のネットだった。
今は圧倒的に上手い人が商品レベルのものを無償で見せてくれる。贅沢な時代になった。それを見るのに忙しくて友達の落書きには興味などわかないし、相手も私の落書きには興味がない。みんな目が肥えてしまった。
続きます。
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